八幡(やわた)の郡(こおり)集落の背後にある霊諍山には、明治20年代になって、修験系の講社が北川原権兵衛によって開かれ信者を集めた。養蚕が盛んな頃であったので、明治25年(1892)に蚕影社(茨城県)を勧請し、りっぱな社殿が造られ祀られたが、今では社殿はない。境内には、多数の石仏に混じって猫神の石仏が二体残る。猫神は、蚕の繭を鼠が食い破り中の蛹を食べることから、鼠の天敵である猫が蚕の守護神として養蚕農家では大切に祀られたという。民間信仰と世相が相まった、ユニークな歴史的遺産である。



八幡(やわた)の郡(こおり)集落の背後にある霊諍山には、明治20年代になって、修験系の講社が北川原権兵衛によって開かれ信者を集めた。養蚕が盛んな頃であったので、明治25年(1892)に蚕影社(茨城県)を勧請し、りっぱな社殿が造られ祀られたが、今では社殿はない。境内には、多数の石仏に混じって猫神の石仏が二体残る。猫神は、蚕の繭を鼠が食い破り中の蛹を食べることから、鼠の天敵である猫が蚕の守護神として養蚕農家では大切に祀られたという。民間信仰と世相が相まった、ユニークな歴史的遺産である。