施設の紹介

茅野市

現在、茅野市にはシルク関連施設等はありませんが、製糸業が盛んであったころは養蚕農家が多く、茅野市域は一大養蚕地帯でした。

(茅野市史下巻より引用)

大正期の養蚕

大正6年の茅野市域の農家数は4,191戸ありました。その内、養蚕戸数は3,976戸あり、約95%が養蚕家であったということになります。中でも北山村の農家数は474戸であったのに対し、養蚕戸数は469戸であったことから養蚕家率は99%ということになります。一方、当時の茅野市域の畑面積は1,549町5反歩であり、その内、桑園面積は1,334町9反歩であります。桑園率は86.2%にも上ったということになります。特に米沢地区の桑園率は116%、泉野地区105%、宮川地区107%と、100%を超える桑園率の地区もあり、農家以外の養蚕家も存在したことが伺えます。

上記データより、茅野市域は一大養蚕地帯であったと言うことができます。畑地は、可能な限り桑園化し、さらに山林部も開墾し桑を植えていました。永明村や米沢村は、開墾地が乏しいことから、水田にも植苗していました。多くの農家は、自家消費の野菜や大豆は、桑の樹の間作が専らでありました。

 

組合製糸の登場

大正9月、玉川村子之神に36釜の「玉川生糸販売組合」が設立されました。「玉川生糸販売組合」は大正9年、永明村矢ヶ崎へ移転し「上川生糸販売組合」となり、翌年には「玉川生糸販売組合」が加入し、事務所を宮川村茅野へ移転し社名を「龍上社」としました。この共同出荷は順調に軌道に乗り、横浜市では八王子格になり、大正8年には一等級矢島格に格上げされています。

名称
茅野市(シルク関連施設等はありません)